Joyride デモ




歳月

わたしたちの時代には、学校がそこにあった関係から、お茶の水と呼んでいた附属高女の専攻科の方が見えて、雑誌に何かかくようにと云われた。いまその原稿をかきはじめている、わたしの心持には複雑ないろいろの思いがある。そして、そういう思いは、わたしと同級生であった誰彼のひとたちが、もしその雑誌をよむとしたら、やっぱり同じように感じる思いではなかろうかと思う。なぜなら、随分久しい間、わたしは、自分が少女時代の五年間を暮した学校と縁がきれていた。ざっと十年以上。縁がきれたことには、わたしの方からでない理由の方が大きく作用していた。

Mi dispiace, ma non credo sia un Mondo perfetto...
Mi dispiace, ma non credo sia un Mondo perfetto... / The ReflexMan




農村

冬枯の恐ろしく長い東北の小村は、四国あたりの其れにくらべると幾層倍か、貧しい哀れなものだと云う事は其の気候の事を思ってもじき分る事であるが、此の二年ほど、それどころかもっと長い間うるさくつきまとうて居る不作 と、それにともなった身を切る様な不景気が此等みじめな村々を今一層はげしい生活難に陥れた。  企業的な性質に富んで居た此家 の先代が後半世を、非常に熱心に尽して居た極く小さな農村がこの東北の、かなり位置の好い処にある。  かなり高くて姿の美くしい山々――三春富士、安達太良山などに四方をかこまれて、三春だの、島だのと云う村々と隣り合い只一つこの附近の町へ通じる里道は此村のはずれ近く、長々と、白いとりとめのない姿を夏は暑くるしく、冬はひやびやと横わって居る。  町のステーションから、軒の低い町筋をすぎて、両方が田畑になってからの道は小半里、つきあたりに、有るかなしの、あまり見だてもない村役場は建って居る。和洋折衷の三階建で、役場と云うよりは「三階」と云う方が分りやすい。  この「三階」につく前少しの処に三つ並んで大池がある。並んで居る順に一番池二番池と呼ばれ、三番池は近頃まで三つの中で、一番美くしい、清げな池 であった。四五年前から、この村と町との間に水道を設ける事の計画が一番池が有るために起って居た。





{explored}
{explored} / Kat...B

昔の思い出

玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分の勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった





そこの海岸のホテルでの話です。  彼女は女優でした。少しばかり年齢 をとりすぎてしまいましたが、それでもいろいろな意味で最も評判のよい女優でした。  劇場が夏休みなので、泳ぎにたった一人で海岸へ来ていたのです。  ところが、ホテルのヴェランダで、ゆくりなくも誰とも知らない一人の青年を見初めてしまいました。――これは日頃の彼女にしてみれば非常に珍しいことで、しかもその青年はちっとも美青年でもなんでもなくて、むしろうち見たところひどく不器用な感じしかない男なのですが、そんな点がいっそ却って彼女の心をひいたのかも知れません。

タイトルなし
タイトルなし / AmandaLouise




berauschend pt. 2
berauschend pt. 2 / yuckfa

小さな村

青田の上の広い空が次第に光を喪つてゐた。村の入口らしいところで道は三つに岐れ、水の音がしてゐるやうであつた。私たちを乗せた荷馬車は軒とすれすれに一すぢの路へ這入つて行つた。アイスキヤンデーの看板が目についた。溝を走るたつぷりした水があつた。家並は杜切れてはまた続いていつた。国民学校の門が見え、それから村役場の小さな建物があつた。田のなかを貫いて一すぢ続いてゐるらしいこの道は、どこまでつづくのだらうかとおもはれた。荷馬車はのろのろと進んだ。家並が密になつてくると、時々、軒下から荷馬車の方を振返つて、驚愕してゐる顔があつた。路傍で遊んでゐる子供も声をあげて走り寄るのであつた。  微かにモーターの響のしてゐる或る軒さきに、その荷馬車が停められた時、あたりはもう薄暗かつた。みんなはひどく疲れてゐた。立つて歩けるのは、妹と私ぐらゐであつた。私はその製粉所に這入つて行くと、深井氏に声をかけた。表に出て来た深井氏は吃驚して、それから、すぐにまた奥に引込んだ。いま、荷馬車の上の負傷者をとり囲んで、村の女房たちがてんでに私たちに話しかけた。けれども私は、薄闇のなかに誰が何を云つてくれてゐるのやら、気忙しくてわからないのであつた。深井氏はせつせと世話を焼いてくれた。兼ねて、その製粉所から三軒目の家を、次兄が借りる約束にはなつてゐたのだが、かうして突然、罹災者の姿となつて越して来ようとは、誰も思ひがけぬことであつた。  やがて、私たちは、ともかく農家の離れの畳の上に、膝を伸した。次兄の一家族と、妹と私と、二昼夜の野宿のあげく、漸く辿りついた場所であつた。とつぷりと日は暮れて、縁側のすぐ向の田を、風が重苦しくうごいてゐた。





浮かぶ飛行島

わが練習艦隊須磨、明石の二艦は、欧州訪問の旅をおえて、いまやその帰航の途にあった。  印度を出て、馬来 マレー 半島とスマトラ島の間のマラッカ海峡を東へ出ると、そこは馬来半島の南端シンガポールである。大英帝国が東洋方面を睨みつけるために築いた、最大の軍港と要塞とがあるところだ。  そのシンガポールの港を出ると、それまでは東へ進むとはいえ、ひどく南下航路をとっていたのが、ここで一転して、ぐーっと北に向く。  そこから、次の寄港地の香港まで、ざっと三千キロメートルの遠方である。その間の南北にわだかまる大海洋こそ、南シナ海である。  練習艦隊はシンガポールを出てからすでに三昼夜、いま丁度北緯十度の線を横ぎろうとしているところだから、これで南シナ海のほぼ中央あたりに達したわけである。  カレンダーは四月六日で、赤紙の日曜日となっている。





  1. 著者名:宮本 百合子 

    「お茶の水」第60号、お茶の水女子高等師範学校附属高等女学校校友会誌、1948(昭和23)年

    青空文庫

  2. 著者名: 宮本 百合子

    「文章倶楽部」1926(大正15)年10月号

    青空文庫

  3. 著者名:海野 十三

    「少年倶楽部」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年1月~12月

    青空文庫

  4. 著者名:渡辺 温

    1927年(昭和2)7月、『サンデー毎日』に発表。内気な青年の嘘というモチーフは、渡辺温作品に多く見られる。

    青空文庫

  5. 著者名:原 民喜

    被爆体験を作品に刻んだ、小説家、詩人。広島市生まれ。広島高等師範学校附属中学校時代から詩作を始め、慶應義塾大学文学部予科に進んで、山本健吉らと同人誌を発行。小説にも手を染める一方、左翼運動に関わる

    青空文庫

  6. 著者名:宮本 百合子

    「多喜二と百合子 七号~十三号」多喜二・百合子研究会、1954(昭和29)年12月~1955(昭和30)年12月

    青空文庫

  7. Girl

    かわいい写真です

  8. 旅行したい

    どっかいきてー

  9. 農村

    いい写真ですね。一目惚れしました。こういう写真を撮って毎日遊んでいたい。

  10. マクロ

    マクロとクロスプロセスです。かわいいなー

  11. 終わり

    いかがでしたでしょうか。以下より記事かプラグインのサイトに飛べますよ。

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