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ニューヨーク



ニューヨーク市はアメリカ合衆国北東部の大西洋に面し、巨大なニューヨーク港を持つ。市はブロンクス、ブルックリン、マンハッタン、クイーンズ、スタテンアイランドという五つの行政区(バロウ、ボロウ)に分けられる。2007年における人口推計値は830万人を超え[1]、陸地面積は790km2[7][8]、人口密度はアメリカ国内の主要都市の中で2位である[9]。ニューヨーク都市圏の人口もまた国内最大であり、推計で1880万人、その面積は1万7400km2以上である[10]。 アメリカの都市の中では公共交通機関が際立って多く利用されており、多くの交通機関が24時間運行している。また人口密度の高さと、その多様性も著しい。2005年の調査によれば、市内では170近くの言語が話され、人口の36%がアメリカ合衆国の外で生まれた人であった。 ニューヨークは「眠らない街」とも呼ばれ、そのほかにも「ビッグ・アップル」、「ゴッサム」といった愛称がある。 ニューヨークは1624年にオランダ人の手によって交易場として築かれた町である。この入植地は1664年までニューアムステルダムと呼ばれていたが、同年イギリス人の支配が始まって現在の名称になった。1785年から1790年まではアメリカ合衆国の首都としての役割を担った。
市内には世界的に知られた地区やランドマークが数多くある。自由の女神像は、19世紀末から20世紀初めにかけて、アメリカへ渡ってきた何百万人もの移民を出迎えていた。ロウアー・マンハッタンのウォール街は第二次世界大戦以来金融の国際的中心地であり、ニューヨーク証券取引所が置かれている。エンパイア・ステート・ビルディングなど超高層ビルも数々建ち並び、ワールドトレードセンターもその一つであった。 またニューヨークではハーレム・ルネサンス、絵画の抽象表現主義(別名ニューヨークスクール)、ヒップホップ、パンク・ロック、サルサ、ディスコ、ティン・パン・アレーなどの音楽ジャンルが生まれた。ブロードウェイ劇場も有名である。
ロサンゼルス



ロサンゼルス市は、ロサンゼルス郡内にある。同郡には他にビバリーヒルズ、サンタモニカ、ロングビーチなどが含まれる。郡の面積は12,308km2で、人口は約976万人。 ロサンゼルス市を中心とする都市圏は、グレーター・ロサンゼルス・エリア、または、サウスランドなどと呼ばれるが、単にロサンゼルスとも呼ばれる。都市圏の範囲は、ロサンゼルス郡とオレンジ郡(ディズニーランドで有名なアナハイムがある。人口約306万人)を合わせた2郡のみとする場合と、さらに周辺のリバーサイド郡、サンバーナーディーノ郡、ベンチュラ郡を合わせた計5郡を指す場合とがある。2郡の面積は12,562km2(参考:新潟県 12,579km2)で、人口は約1292万人。5郡の面積は87,941km2(参考:北海道 83,454km2)で、人口は約1763万人。ロサンゼルス都市圏は、日本の京阪神大都市圏(面積11,169km2、人口1864万人-2000年国勢調査)より小規模であるが、映画産業を初めとして世界への情報発信力が強い。ちなみに、2010年の国際連合の統計によると、近郊を含む都市圏人口は1276万人であり、世界第12位、北米ではニューヨークに次ぐ第2位である。。
ロサンゼルスに滞在(永住者と3ヶ月以上の長期滞在者)する日本人は29,809人(2003年10月1日時点)と、トップのニューヨーク(49,748人)に次いで2番目に多い。なお、2006年10月1日時点では、ロサンゼルス郡とオレンジ郡の合計で、56,023人の在留日本人がいる。 治安状態については改善が進んでいるものの、2007年10月13日時点までの犯罪発生件数は10万件にも達し、アメリカの主要都市で、依然として犯罪件数が多い都市の1つとされている]。 2010年、ロサンゼルスはフォーリンポリシーのグローバル都市インデックスにより、ニューヨーク、ロンドン、東京、パリ、香港、シカゴに次ぐ世界第7位に選出されている。都市の経済規模(GDP)では東京、ニューヨークに次いで世界第3位である。
サンフランシスコ



キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名に付けたのが地名の由来である。漢字では、桑港や旧金山と表記される。桑港は、「サンフランシスコ」を音訳した「桑方西斯哥」(現代中国語普通話ではS?ngf?ngx?s?g?(サンファンシースーコー)の発音になる)の頭文字「桑」(サン)に、港町である事を示す「港」を加えたものである。この漢字表記は、現地の日系社会でも使われるため、商店や日本語学校などの名称によく見られる。ジャパンタウン(日本人街)にある曹洞宗の寺院「日本山桑港寺(そうこうじ)」はその代表である。一方の旧金山(舊金山)は、1849年に起こったカリフォルニア・ゴールドラッシュにちなんだ名称である。当初この地に労働者としてきた華人たちはサンフランシスコを「金山」と呼んだが、後にオーストラリア・ビクトリア州など他の地域でもゴールドラッシュが起きるとサンフランシスコは旧金山と呼ばれるようになった(「新金山」はメルボルンを指す)。現地の中国系社会では桑港と同様に「サンファン」の音を当てはめた三藩が旧金山よりも多用される傾向があり、市当局も中文での名称を三藩市としている。
アメリカの他地域では頭文字の「SF」や「フリスコ(Frisco)」愛称・略称で呼ばれることが多い。または「サンフラン」(San-Fran)との略称で呼ばれることもある。日本では、特に(航空機での渡航の対象として)「シスコ」の略称で呼ばれることも多い。地元とベイエリア周辺では単純に愛情を込めて「the city」と呼ばれることが多い。 ロサンゼルスと共にカリフォルニア経済、工業の中心地として知られており、金融センターとしてアメリカ西海岸では随一の重要性を持っている。サンフランシスコ自体の人口は776,733人(2000年国勢調査)だが、対岸のオークランドなどを含めた都市圏(MSA)の人口は4,123,747人にも上り、全米第12位の規模。更に南岸のサンノゼを加えたサンフランシスコ・ベイエリア全体の人口は7,092,596人で広域都市圏(合同統計地域: CSA)として全米6番目の規模である。(いずれも2000年国勢調査)それゆえに大規模なダウンタウンが形成されており、近代的なビルが建ち並ぶ。シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。
シカゴ



シカゴは、ニューヨークが対西欧から国際都市、ロサンゼルスが対中米、アジアへの交易窓口として発展したのに対し、古くから内陸交通の要衝として発展、アメリカの産業、文化の発展と共に都市形成が行われてきた経緯がある。 シカゴのあるイリノイ川河口地点は、古くからインディアン部族の交易の場として機能していた。一番古い記録では1673年にフランス人伝道師が訪れている。「シカゴ」の語源はこの地に先住するアルゴンキン語族インディアンの言葉で、「にんにく畑」という意味で、おそらく河口付近にニンニクが自生していた地であったためだとされている。
1779年にドミニカの毛皮商が入植、1803年には軍事拠点としてディアボーン砦が作られるとともに開拓が進み、1830年には人口は350人に達した。1832年当時は、十数個の丸太小屋と雑貨屋が一軒、そして飲み屋が二軒だけだったといわれている。1836年に始まったミシガン湖とミシシッピー川を結ぶ運河建設を発端に、土地投機家が大挙して押し寄せ、一大開発都市に発展する基盤が築かれた。1837年に市に昇格すると人口は急増し、翌年には鉄道が開通、以後交通の要衝として大発展を遂げる。その後、1848年にはイリノイ=ミシガン運河の開通、1852年にはイリノイ・セントラル鉄道の開通によって内陸交通の要としての地位を更に高める。その頃の主要産業は農業で、シカゴはとりわけ小麦を東部の都市に送り出す集散地として発展、1848年には穀物取引所が作られた。また、畜産業も発達し、1855年には収容頭数が当時最大のユニオン・ストック・ヤードが設けられた。一方で、優秀な鉄鉱床が点在していたために鉱業も発展し、1860年には人口6万人に増大した。
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ワシントン



"D.C." は "District of Columbia"(コロンビア特別区)の略で、南アメリカのコロンビア共和国と同様、アメリカ大陸の発見者クリストファー・コロンブスにちなんだ名である。日本のマスメディアなどでは、ワシントンD.C.のことを単に「ワシントン」と呼び、ワシントン州のことはワシントンD.C.との混同を避けるべく常に「州」を付して「ワシントン州」と呼ぶのが一般的である。「首都ワシントン」とも呼ぶ。なお、漢字による当て字は華盛頓で、華府と略す。
ロンビア特別区(Territory of Columbia)は1790年7月16日に設立された。ワシントン市(The City of Washington)はコロンビア特別区内の独立した地方自治体であったが、1871年の連邦法により、この領域全体を統治する単一の政府が設立され、ワシントン市とコロンビア特別区が統合されてDistrict of Columbiaが成立した。この時点でワシントン市は正式には消滅したが、名称は使われ続け、Washington, D.C. という呼称が一般に定着した。